主夫に対する印象
まだまだ男性側の方で主夫というものに対して良くないイメージがあることは否めませんが、私自身はそんなものはあくまでイメージにすぎず、世間の認知はもう変わってきているものだと思います。
主夫がいいというけれど、まだまだ主夫ということには抵抗があるんですけど…
そうなん?そんなん別に気にする必要はないと思うけど、確かに、いろいろな意見があるみたいやね!
以下の意見は、僕がいろいろ見たり聞いたりした中でのまとめで引用とかまではしていないのでエビデンスとしては弱いですが、ネット上では同様の内容のものがすぐに見つかると思います。
肯定的な意見
- 家事が好きなら夫が家事をメインにやってもいいと思う
- どちらか一方がやると決めるものでもないし、時間的・能力的にできる方がやればいいと思う
など、の家事そのものはできる人がやればいいというものと、
- 家のことについて同じレベルで相談できる
- 稼ぎが良くてもモラハラ的なものは困る
といった、家事を通じて得られる価値から主夫を肯定する意見が見られます。
否定的な意見
これに対して、否定的な意見としては、
- 男は一家の大黒柱、稼いでナンボだと思う
- 主夫といえば聞こえはいいかもしれないが、要するに「ヒモ」
といった、昔ながらの考え方からきていると思われる意見がありました。
どちらの意見もよくわかる
主夫に対する考え方については、当然、正解というものはないのでどちらの意見も理由のあることだと思っています(今回の意見は割と「専業」主夫についてのもので「兼業」主夫となると一概に同列に話すことはできないかもしれませんが)。
もちろん僕自身は肯定派なので、意見としては上に書いたような「できる方がやればいい」と思っていますし、家事について細かいところとかも話ができるのはいいことだと思っています。
けど、僕も、何も気にならないくらい稼ぐことができるなら、きっと家事はしませんし、「どれでも好きなもの選んでいいよ」って言えたらかっこいいなと思います(湘南乃風的な)。
世間の意見をどう考えるか
ですので、結局は世間の意見をどう考えて、どう行動するかという「空気読んでいこうぜ」っていう当たり前の話に落ち着くわけです。これから時代が進んでいけば価値観も変わっていくと思いますが、主夫や主婦に対する考え方の割合は変わったとしても、意見については大きく変化することはないように思います(便利家電等が増えて家事そのものをしなくてよくなる可能性はありますが。)。
いったん真剣に真正面から考えてみる
肯定的な意見は喜んで受け入れる
あくまで「主夫になりたい!」という考え方を前提にこのブログは進んでいるので、肯定的な意見は受け入れることになります。
世間では効率化・合理化だのクオリティ・オブ・ライフだの言われて久しいですが、そういうなら家事についてもできる方がやればより良い生活を送れるのではなかろうかと思います。
世間の目が気になるのもわかりますので、そういった世間に対する理論武装として、いろいろな肯定的な意見を集めておいて、「ほら!主夫ってこんなに生活を豊かにするんだ!」っていえるようにしておけばいいのかなと思います。
否定的な意見も一理あると考えてみる
自分と立場が違うからといって全く受け入れないというのは狭量にして可能性を踏みにじる行為であることは言わずもがなです。男の子ですから、カッコつけたいという気持ちもあります。
「男は斯くあるべき」みたいな考え方は流行らないのかもしれませんが、間違っているのかと言われればそうも言えないと思いますし、否定的な意見もいっていること自体は正しい面もあることを受け入れると、対立するものではなくなるので、特に気にするようなことではなくなるのではないでしょうか。
世間の意見など取るに足らないものであると気づく
こう考えてみると、肯定的な意見も否定的な意見も自分にとって特に影響を及ぼすものではなくて、取るに足らないものだと気付きませんか?
いろいろなご意見は参考にはなりますが、あくまで参考であって自分の行動を決める決定的なものにはなり得ないのではないでしょうか。
主夫であることを悩む必要はない
まわりの意見など、今の考え方に過ぎない
サピエンス全史によれば人類は作り物の上に成り立っているそうです(内容をかなりかいつまんでるので誤解のないようにちゃんと読んでいただければと思いますが。)。
サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]
サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]なので、主夫に対する考え方も人類が作り上げたものに過ぎないし、時代時代によって移り変わる考え方に応じて生活も変わっているのであって、「正しさ」みたいなものはないんだろうと思います。時代どころか国が変われば考え方も変わるし、別に周りの意見に振り回される必要はないじゃないでしょうか。
誰のために生きているのか
人生100年時代といわれはじめてますけど、どれだけ生きようが結局自分の人生であって、自分のために生きないと勿体ないです。それに100年生きたとしても、実際試したりできる期間は20代〜70代くらいじゃないですか?
50年かそこらくらいしか、自分の人生で試行錯誤できる時間はないんです。しかも、きちんと「やり切った!」と思えるほどにやるとしたら、それは1日や2日の時間ではダメでしょうし、ある程度の時間をかけざるを得ないでしょう。
そもそも世間の意見とか、もっともらしいことを言って満足そうな顔している人はいますが、その人は自分の人生に対して何の責任も取っちゃくれないんです。ただ、自分が言いたいことを言っているだけなんですから、縛られる必要はないです(アドバイスをくれる人は実は本当に貴重なので人との付き合いは大事にしなければならないことは、また別のお話)。
自分の人生をよくすることができるのは自分だけなのだから、誰に臆することなくやりたいことをやればいいと思います。
自分が楽しいと思える生き方を
僕自身は、楽しいことが全てで、快楽主義とかそういうものではないですが、楽しいと思えるかどうかが生きていく上で大事なんだと思っています。
もちろん家族をはじめ、人に迷惑をかけないとかそういう社会で生きていく上で守るべきものは守った上で、ですが。楽しいことの中には「しんどいこと」とか「やりたくないこと」も過程として通らなければならない場合もあります。なので、色々ひっくるめて振り返った時に「楽しかった」と思えるものを選ぶようにしています。
主夫っていうと世間はいろいろ言いたいことはあるのかもしれませんが、ほっとけばいいんです。
ここまで割り切れない人もいるかもしれませんが、それじゃあ、例えば親しい友人とか家族とかが認めてくれるならそれでいい、と考えればいいと思います。前にも書いたとおり、いろいろ言ってくる人はいるでしょうけど、その人はおよそあなたの人生にとって関係ない人であることが多いと思います。
ただ、もし家族、特にパートナーとの間で考え方に差があるならそれはきちんと話し合う必要がありますが、それは以前、簡単にですが記事にしてるので良ければ見てください。
それでは、また!